10月16日(金) 午後3時から5時
実行委員会:安部己図枝
随行・案内人:松江市八雲支所より地域振興課 藤田氏
視察地:八雲町熊野 岩室地区
八雲町文化財保護委員会会長 白鹿力生さん・白鹿明さん
16日は、秋風も寒く感じられましたが、秋晴れの日でした。
八雲町熊野にある八雲山中腹にある岩室地区に行きました。引き続き八雲支所の藤田さんの案内です。6月、岩室の歴史に詳しい白鹿力生さんに聞き取り調査をさせていただいたときに、明治時代からの林業についても資料をいただきました。
明治40年代にはこの岩室地区では、三椏の苗を栽培し出荷していたようです。また三椏の生育の環境にも良く、戦後も三椏の皮の出荷をしていたそうです。
今回、白鹿力生さんの案内で、子供のころの記憶をたどり、三椏を蒸していた白鹿明さん宅を訪れました。
山には大きな杉の木がたくさんあり、山の中腹は、急な斜面でありながら、水も豊富に流れて沢になっていました。
蒸し窯は何処に・・・と尋ねると「昔ここにあったよ。今は石で塞いであるけど」とのことで、見てみるとそこは道路から見上げるほど高い家に上がる石垣の一部になっていました。
しかも、家の庭先にたどり着く階段の石垣を利用して釜土が作られていました。とても効率の良い方法と感心しました。やはり、ここでも蒸し桶「こしき」は大人が3人がかりで腕を広げ囲むくらい大きかったようです。土地柄で、その大きさは違うようですが、高さ2m近くある桶を作ること自体、今は職人がいなくて不可能です。
この地区で、栽培した三椏は、明治時代の資料に3年で刈り取ったとあり、当時、三椏の成長の早さも環境がよかったからだと思われます。記念館の蒸し桶が小さく感じられました。
その後、力生さん宅近くの山の上にある田んぼ(昔は24個の棚田があったそうです)を登り、岩室の地名の由来とされる大きな岩石(神馬足跡の岩・長さ30m高さ6m)を見に行きました。この岩石は祝神という地名のところにあり、馬の蹄に似た形の穴がたくさん開いてました。これは、須佐之男尊が金の馬に乗って歩かれた痕と言い伝えられています。出雲風土記の地名や神社がそのまま残っています。
このような一人では行くことができないような所も、地域の方が守り伝えてこられたと実感しました。この八雲山登山道入り口からは
遠く星上山、天狗山、京極山まで見え周辺の地形が丸ごと把握できるような眺望の素晴らしい所でした。
左:白鹿力生さん 右:白鹿明さん
八雲町熊野 岩室地区 白鹿明氏宅の庭先にある窯跡
八雲町熊野 岩室地区 白鹿明氏所有地山林(三椏の栽培跡地)と沢
岩室の神馬足痕の岩と山並み風景
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